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2011年8月

第25回五島夕焼けマラソン

第25回五島夕焼けマラソン
ちょうど僕の順番が来て、呼ばれた時にS君から電話が鳴った。
先に食べる事を告げた。
五島牛は美味しかったが、疲れて黙々と食べた。
肉体を焼いてくれたスタッフにお礼を言い、貴重品を取りに行き、仮設シャワーで汗を流した。
21時半に宿泊先まで無料バスが出ると言うことで、待機しているバスに乗り込みS君とおっさん二人を待った。
三人が来て、あらためて自己紹介をしてお互いの完走を祝った。
もう苦しいレースを走り切った仲間である。
ここからおっさん二人はMさんとHさんになる。
キャンプ場に着くと管理人のおっさんにビールとワインを分けてもらった。
そしてつまみがない事を告げると、キビナゴをニンニクと一緒に炒めてくれた。
管理人のおっさんは俺の酒と食糧がなくなったとぼやきながら、旨いから食ってみろとキビナゴを出した。
キビナゴは本当に美味しかった。
Mさんはおかわりないですかと冗談で言った。
管理人のおっさんは満足そうに笑った。
テントに戻り、ささやかな酒盛りをした。
MさんとHさんは明日の7時に出ると言うことで早めに寝た。

次の日の朝、Mさんにコーヒーを入れてもらい、来年も走る事を約束して別れた。

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第25回五島夕焼けマラソンpart3

第25回五島夕焼けマラソンpart3
第25回五島夕焼けマラソンpart3
写真を見ると、閑散としているように見えるが、公園はウォーミングアップアップしている人でいっぱいだった。
強い陽射しでとにかく暑くこの場にいるだけで、熱中症になりそうなくらいだった。
大会史上3番以内に入る暑さと言っていた。
今回の参加者は2841名、過去最多と言うことだった。
開会式が終わりスタート地点へ移動した。
僕は携帯を右手に持ちスタートを待った。
スタートの空砲は聞こえなかったが前の人達がゆっくり動き始めた。
僕もそれに合わせて走り始めた。
沿道ではたくさんの人達が頑張れと声をかけてくれる。
2キロおきに水や水を含ませたスポンジが置いてある、エイドスタンドが設置されている。
走りながら飲むのは初めてで少ししか飲めず、むせた。
次のエイドスタンドを心待ちにして走った。
いつもの練習では10キロくらい水分補給しなくても平気なのに、五島はとにかく暑い。
待ちに待ったエイドスタンドが見えてきた。
頭がじんじんし始めた。
水を取り飲んだが、やっぱりむせた。
もう1つ水を取り頭からかぶった。
今度はおぼれそうになった。
僕は次のエイドを夢見て走った。
開会式でエイドにはスイカが置いてある
と言ってたのを思い出していた。
スイカ、スイカと心でつぶやきながら走った。
やっとエイドにたどり着きコップを取り、少し水を含みあとは頭からかぶった。相変わらずおぼれそうになりながら、念願のスイカを発見した。
走りながらスイカを食べると喉にひっかかって吐き出した。
この時やっと僕には走りながら飲んだり食べたりは無理だと悟った。
7キロぐらい走った所できつい坂が待っていた。
なんとか越えたがこんなにきつい坂を走ったのは初めてだった。
この頃に腹痛が始まった。
ペースを落とし、休みながら走った。
10キロまでは55分くらいで通過した。
13キロくらいまではなんとかこのペースで走った。
そこから先はもうぐだぐだだった。
歩いている人に出会うと、僕もついに歩いていた。
腹は痛いしスタミナもなくなってきた。
走ったり歩いたりしながら少しでも前に進もうとだけ考えた。
エイドでは立ち止まってゆっくり水を飲んだ。
沿道での声援は本当に励まされた。
マラソンをしなかったら解らなかった、得られなかった事ってたくさんあると思った。
最後の1キロ、力を振り絞って走った。
ゴール地点ではスタッフのお姉さんがタオルをくれ、ポカリスェットをくた。
結果は2時間14分43秒。
もう脱力感でいっぱいだった。
20時過ぎまでS君を待ったが、来る気配がなく、五島牛の試食会の列に並んだ。

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第25回五島夕焼けマラソン(2011,8.27)

第25回五島夕焼けマラソン(2011,8.27)
タクシーに乗り込んだ僕達4人はそのまま港へ向かった。
おっさんの一人が港まで3200円で交渉してくれた。
途中、タクシー代は3200円を越えた。
タクシーの運転手はメーターを倒してくれた。
ぼろぼろの年季の入ったタクシーを見ると、申し訳ない気持ちではあるが、得した気分が勝っていた。
港に着くと僕達4人はタクシーの運転手さんに感謝の意を述べた。
おっさん二人とはテントでマラソンの反省会(飲み会)を約束しここで別れた。

僕とS君は昼飯を食いに街へでた。
港の近くには食べ物屋は結構あったけどあえて少し外れた路地に入った。
五島うどんの看板が出ていたお寿司やさんに入った。
このマラソン大会は五島うどんを食べるのも目的の一つだった。
僕達はカウンターに座った。
中ではおじさんが寿司を握っていた。
S君はかつ丼を頼んだ。
五島うどんは麺が細くさっぱりとして美味しかった。420円だった。
メニューを見るとお寿司も並みが850円と安い。
突然、おじさんがカウンターから出て僕の名前を呼び佐賀から 来たんですね…、と言った。
ゼッケンを付けて店に入ったので名簿で探してくれたようだ。
おじさんは無口な職人肌のような人であんまり話は弾まなかった。
でも、暖かさは伝わってきた。
うどんを食べ終わった頃S君のかつ丼が来た。
かつ丼やうどんは厨房でおばちゃんが作っていた。
仕事を終えたおばちゃんがカウンターに出てきた。
注文を取るお姉さんが他のお客さんのテーブルを片付けていると大きいバッタがいた。
お姉さんはおばちゃんにその事を告げると、おばちゃんはカウンターからでて、バッタをわしずかみした。
おばちゃんはカウンターに戻り、バッタをガラスのビンに手際よく入れた。
ふたの代わりにサランラップをして、くしで穴を開けた。
おばちゃんは僕に自慢気に小瓶に入ったバッタを見せ、お兄ちゃんバッタは見たことあるかいと言った。
僕はどう応えようか迷ったが、佐賀にもバッタはたくさんいますよと応えていた。
おばちゃんは少し寂しそうな顔をして、孫はバッタを見せると喜ぶんだよと言った。
会話は弾まなかったけど、暖かさは伝わった。
また来年、この店に来ようと思った。
僕達は店を出て、近くのパン屋に寄った。
メロンパン、クリームパンが半額で50円だった。
半額に弱い僕は気がつくと買っていた。
それを食べながら、港に向かった。
マラソンスタート会場は港の前の公園だ。
フェリーターミナルで4時過ぎまで時間を潰した。
S君はベンチで寝ていた。
僕はクリームパンにあたったのか3回、トイレを往復していた。フェリーターミナルのトイレは混んでいて少し離れた仮設トイレまで小走りで往き来した。
おかげで、ウォーミングアップはしなくてすんだ。
いよいよ夕焼けマラソンの開会式が始まった。

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第25回五島夕焼けマラソン(2011,8.27)part1

第25回五島夕焼けマラソン(2011,8.27)part1
午前3時30分起床。
3時間ぐらい寝ただろうか。
長い長い1日が始まる…。
猫のグレイに2日分の餌を盛った。
鰹節をかけてやり、留守番を頼む。
午前4時、出発。
一緒に参加するS君の家へ。
下道を走り午前6時、長崎港に到着。
五島行きフェリー乗り場へ。
8時の便はすでに列ができている。
ほとんどの人が五島を走るランナーだ。
6時半過ぎ、乗船順の印刷された券が配布された。
163番。早めに来て正解だった。
コンビニでトンカツ弁当とお茶を買い、フェリー乗り場で食べる。
あとで気が付いたがフェリー乗り場の売店の方が安くてうまそうな弁当がたくさんあった。
7時半頃、乗船順に呼ばれ、フェリーに乗り込みが始まるが人が多く、たどり着けず、2百番第後半が呼ばれたところでやっと乗船できた。
もう船内は座るところがなく、甲板にでた。
ベンチを確保してのんびり出向を待った。
フェリーはゆっくり旋回を初めた…。
今まで日陰だったベンチには射すような日が当たり初めた。
あまりの暑さにその場を後にした。
日陰を求めわずかなスペースを見つけ、小さくなりうとうとしながらフェリーで過ごす。
日陰でも、汗が吹き出て来るような暑さだった。
午前11時半頃五島へ到着。
まずはマラソの受付を港でする。
港はランナーでいっぱいだ。
宿泊施設が取れなかった僕達は観光案内に行き、キャンプ場を聞く。
テントと寝袋は持参した。
一番近いキャンプ場は富江という所にあった。
バスで40分ぐらいかかる。
料金は730円。
バスを降りると同じようなおっさん二人のランナーが声をかけてきた。
バス渟からキャンプ場まで結構ある。
4人でタクシーに乗り込む事にした。
キャンプ場まで600円だった。
おっさん二人は台座式テント(5名用)1800円を予約してあり、そこにお邪魔する事となった。
ちなみにテント持ち込みの場合、施設使用料金は600円だった。
午後1時50分呼んでいたタクシーに4人で乗り込みマラソン会場に向かった。

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